【連載】あの頃… 19. 「フェスティーボ」の頃

  • 2020.06.29 Monday
  • 22:14

あめ 19.7℃/13.2℃

 

 

「ウィズ・ハート」の頃からすっかり止まってしまった回想録。

なぜ止まってしまったのか……

それは、この時期が自分にとっての大きな分岐点だったからなのだ。

 

「なぜ先生を辞めたの?」

「どうして北海道で農業を始めたの?」

 

今でもよく訊かれる質問なんだけど、その答えのほとんどはこの時期に詰まっている。

 

「フェスティーボ」は、チェコの作曲家ヴァツラフ・ネリベルが書いた吹奏楽曲の古典。

以前はコンクールでは必ず聴かれた名曲だったけれど、最近はあまり耳にしないかな。

乙川中学校がこの曲を演奏したのはCBCこども音楽コンクール。結果は当然のように優秀賞

3年生が抜けても、もうすっかりサウンドは安定していて、コンクールに出ても緒戦でなら金賞(優秀賞)以外を取るなんて考えられなかった。

 

この年、ボクは3年生の担任をしていたので会議や進路指導で部活の練習に出られないことも多かったんだけど、

生徒たちは自分たちできちんと練習をしていて、その点ではまったく心配はなかった。

冬休み前あたりから副顧問の先生がドロップアウトしてしまって、事実上1人で見なくてはならなかったけど、それでもそんなに心配はなかった。

ある時、体調を崩して待って数日学校を休んだこともあったけど、それでも生徒諸君は自分たちで基礎合奏まできちんとしていて、

むしろ、ボクがいない方がちゃんと出来るんじゃないかと思ったほどだった。

 

 

そんな教師・指導者としては幸せすぎる状態を、贅沢にも物足りなく感じていたのも事実だった。

 

 

さて、この年、乙川中学校に来て7年目。そして3年生の担任。

「来年はどうする?」という話は当然出て来る。

他校から「うちに来ないか」という誘いはいくつもあった。いや、これは毎年いくつもあった。

直接声をかけられることもあったし、毎年秋にある校長面接(次年度の意向などを校長と話し合う機会)では、校長からそういう話を聞かされていた。

でも、他の学校で、もう一度バンドを育てようという意欲とかエネルギーとかは、この頃の自分には薄かったように思う。

この年も、4校からお誘いがあったけれど、それを受けるということにあまり前向きにはなっていなかった。

 

でも、結局は大府中学校に異動したわけで……

 

それはナゼなのか?!

 

それを語るには、極めて主観的な立場からの不満や、あるいは秘密事項に当たるような内容にも触れなくてはならないわけで……

だから、今まであまり語って来なかったんだけど……

 

でも、教師を辞めて14年が経ち、どこかに残しておかないと、という思いも年々強くなっていて……

 

 

 

……というわけで、次回に続きます。(多分…)

コメント
コメントする








    

calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< July 2020 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM