『義経』(司馬遼太郎・作)

  • 2018.06.11 Monday
  • 23:59

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司馬遼太郎は、軍事的天才が好きなんだろうなと思う。

『花神』の大村益次郎や、『項羽と劉邦』の韓信、そしてこの源義経も。

 

人間が持ちうる才能としては、最も希有なものとして、司馬氏はこの戦術的天才を挙げている。

そして、こういう特殊な才能を持って産まれた人物というのは、

得てして他の何か大切なものを置き忘れて産まれて来るようで、

人間社会での軋轢に巻き込まれたり、誤解をうけたりして、多くは非業の死を遂げている。

 

 

そうした中でも、義経はかなり極端な礼だろう。

 

戦術、それも「平家を滅ぼす」という一点以外の物事に関しては、もはや痴呆といか言いようがないくらいに甘い。

その結果、兄である源頼朝の反感を買い、結局は殺されてしまうのだが、

これとて、反抗して頼朝と決戦しようと思えば出来たかもしれないのに、

まるで自らが望んでそうしたように、滅亡への道を進んで行く。

 

こうした義経の内面を、いろいろな事例を挙げて丹念に描き、

けして共感は出来ないけれど、義経という人物に対して、憐れみとか、同情のような感情を持たざるを得ない。

 

また、

対する平家もていねいに描かれている。

中でも、薩摩守忠度の富士川へ赴く前の様子や、

新中納言知盛の、壇ノ浦での様子は、読んでいてむしろ平家への憐憫の情を押さえかねる。

 

 

なのに!

 

この尻切れとんぼのような結末はどうしたことか!

 

壇ノ浦で平家を滅ぼした後、頼朝との確執、いよいよ平泉への逃避行……

という手前で完結。

 

義経は、諸国の山河にかくれ、隠れては奔り、転々としつつ、朝廷と鎌倉から追跡され、ついに奥州の平泉まで逃げ、追いつめられ、最後に衣川の持仏堂に逃げ入り、自害した。

 

文庫本にして、あと一冊は書けるであろう内容をねたった2行でまとめてしまったのはなぜか?!

 

一説には、司馬氏が執筆への興味や情熱を失ったためだとも云われるが、本当にそうなのか?

 

あるいは、源義経という人物の一生において、今日を落ちた後のことは余計だったのではないか。

平家の最期は、壇ノ浦の合戦においても、その前においても、それなりに美しく絵になるが、

義経の最期は、あまりに悲惨で、兄や鎌倉との確執もけして美しくはなく、むしろ描かない方が良いと判断したのだろうか。

 

 

源義経は、ただひとつ、平家を滅ぼすためだけに、天が地上にもたらしたのではないのか……

 

 

この作品を読むことで、

特異な才能を持った人物の悲哀を感じつつ、

人間社会に生きることの難しさについて、改めて考えさせられた。

 

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