コラム卒業しました。

  • 2017.12.03 Sunday
  • 21:43

ゆき 1.6℃/-8.8℃

 

 

昨日の朝刊に載ったコラムで、北海道新聞への寄稿は最終回となりました。

 

思えば、2009年の春、新規就農者についての記事を書きたいということで取材を受け、

それがきっかけで、同年の冬からコラムを書くことになったわけです。

 

記者さんから電話があった時点では、

「ご主人でも奥さんでもどちらでもかまいませんよ」

ということだったのですが、そこは考える必要もなく、

「ボクが書きます」

と即答してしまいました。

 

「先生だったんだから、作文はお手の物ですよね。」

なんて言われたりもしましたが、

教師が作文をする機会というのは、それほど頻繁ではありません。

 

ただ、ボクの場合は、機関誌に書く機会も何度かあったり、

そもそも小学校2年生の頃から日記を書いていたので、

文章を書くことに抵抗はありませんでした。

 

でも、新聞という媒体を経て、

大勢(それこそ何万人以上!)の方に読んでいただくような文章を書くのは、

それこそ想像以上にプレッシャーがありました。

 

 

読み返してみると、初期のコラムはやはりギコチナイ……

言いたいことがかけていない!

 

でも、ある時から吹っ切れて、

自分の言葉で、

それもブログでも書くような調子で、

よく言えば洒脱に、

ハッキリ言ってしまえばザックバランに書くようになっていました。

 

ある記者さんにも、

「アマクサさんが一番自由に書いてるって感じがするよね」

と言われたこともありました。

これ、必ずしも褒め言葉ではないかもしれませんが、

ボクにとっては寝最高の褒め言葉でした。

 

そういえば、

新聞に名前が載るということの影響の大きさも思い知らされました。

 

乙川中時代も、県内のあちこち(主に楽器屋やコンサート会場)で「ちいさま」って声をかけられることが多かったけど、

今回も、銀行や郵便局の窓口、役場などの公共施設など、

身分証明書を出したり、名前が分かるようなシチュエーションで、

「新聞のコラムを書いてる方ですよね」と言われる機会が多かったです。

 

 

 

おおげさに人生を振り返ってみると……

10代は、学生として音楽と出会い、

20代は、小学校の教師として、金管バンドの指導に邁進し、

30代は、中学校の教師として、吹奏楽部の顧問として、また吹奏楽連盟の理事として音楽を満喫し、

 

40代は、新米農家として農業に精進する予定だったのが、

なぜか文章を書くことへのウェイトがかなり重かったような……、そんな8年間でした。

 

ともかく、当初2年間ということでお約束した執筆を、

道北版夕刊の「北極星」で5年間、39回、

全道版朝刊の「朝の食卓」も、通常2年のところを3年間、27回も書かせていただくことになってしまいました。

よくネタが続いたものだと自分でも感心しています。

 

 

記者さんや読者の方に評判が良かったのは、

「一番おいしいのは」「意外な真犯人」のようですが……

 

でも、ボクが一番気に入ってるのは、「にゃぁ〜」なのです。

「ボク、ちゃいこ」なんてタイトルで連載したいくらいです。(冗談です。もう書けません。)

 

ともかく、

つたない文章を8年間の長きにもわたって読んで下さったみなさん、

毎回、〆切ギリギリで出稿したにもかかわらず、丁寧に推敲して下さった歴代担当記者の皆さん、

町内・道内のあちこちで、「コラム読んでますよ」と声をかけて下さった方々、

本当にありがとうございました。

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