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当時の乙川中学校の部活動は「乙川スポーツクラブ」という組織で活動していた。
基本的には運動部だけだったが、吹奏楽部もその仲間に加えてもらっていた。
これによって、学校が定めている下校時間よりも遅い時間でも活動が可能になるなど、利点がたくさんあったので、その措置はありがたかった。
さて、そんな時期に3年生の担任も終盤を迎え、「来年はどうする?」という話しになったわけである。
ひとつ提示されたのは、「翌年から学年主任をやらないか」ということだった。
当時36歳だったので、こんな大規模校(1学年=9クラス)で主任を務めるにはちょっと若い感じはするが、
翌年1年生の主任を務め、そのまま2年生・3年生と上がれば、ちょうど在校10年の期限と重なって異動できる。
キリがいいと言えば言えるわけだし、一緒に同じ学年をやっていた先生方(ちなみにほとんどがボクより歳上)も、「協力して盛り立ててくれる」と言っているということだった。
こんなウマイ話はない。
普通ならそう考えるところだし、正直自分もそう思ったりもした。
それでも迷っていると、複数の先生方から次のような話を聞かされて、それが迷いに拍車をかけてしまった。
「3年間、学年主任を勤め上げたら、次は校務主任として異動することになるだろう。」
つまり、いわゆる出世コースに乗ることになるという布石だということだ。
そうなると、部活動の指導はほぼ出来なくなる。
たとえ顧問をしたとしても、校務主任・教務主任は2・3年で異動するのが普通だから、落ち着いてバンドを育てるというのは難しい。
ところが、
例えば、乙川中学校区の小学校に異動して校務主任を勤めるとなれば、吹奏楽部の指導は可能になる。
なぜなら、「スポーツクラブ」だから。
校区に在住・在勤ならば指導者として登録が出来るし、むしろそれが望ましいという。
さらに、次の異動ではまた校区の別の小学校で教務主任に、
さらに別の小学校で教頭に・・・、となれば、この先10年くらいは引き続き同じバンドの指導ができるという・・・
いやいや、人事異動なんて、そんなにうまくはいかないものなのだが、
少なくとも机上の計画としてはそういうことも念頭に置いた上での人事だと聞かされたのだ。
吹奏楽部の指導のことで迷っているのかと思ってアドバイスしてくれただけかもしれない。
でも、正直なところかえって怖くなってしまったのです。
見えないところで、自分の知らないところで、勝手にレールが敷かれてしまっているようで・・・
前回も書いたけれど、この時期の吹奏楽部はかなりうまく運営されていた。
練習をサボる子なんていなかったし、学校も保護者も地域も協力的で、普通に活動していれば県大会には出場できるサウンドをキープしていたし。
なぜ、そんな恵まれた環境から逃げ出し、
しかも望んでも得られないようなレールから逸脱したのか・・・
今となっては、そのころの心境はさっぱり分からない。
強いて言えば、自己破壊衝動みたいなもの?
結果として、移動願いを出し、スカウトしたくれていた大府中学校に異動したわけだけど・・・
実は、異動先でもまったく同じ提案をされたのです。
もちろん拒否しました。
それなら初めから乙川で受けてるよ。
スタートが2年遅れただけバカみたいじゃん。
そして、北海道にいるのかな・・・
ま、それだけじゃないんだけどね・・・
もし・・・
あのまま乙川で主任をしていて、助言通りのレールに乗っていたら・・・
今ごろはどこかの学校の校長だったんだろうか・・・
ちょっと想像できないね。。